偉人・坂本龍馬の魅力を発信!『知っちゅうかえ、龍馬?』Part.5
高知県立坂本龍馬記念館 イマナニ体験レポート
エピソード:坂本龍馬と写真 その2
こんにちは、坂本龍馬記念館です!
当館スタッフが、知られざる坂本龍馬の魅力をお届けする本コラム。
第五回は前回に引き続き、「坂本龍馬と写真」をテーマとしたエピソードをご紹介致します。
前回ご紹介した立ち姿の龍馬の写真について、今回は写真そのものの歴史的価値にも触れてみましょう。
龍馬の姿が写る写真は、現在確認されているもので全部で7種類。
全てコロジオン湿板方式という方法で撮影されたものです。
その中でも最も有名な「坂本龍馬立位写真」だけは、撮影時に使われたガラス製の原板が残っています。
他の6種類は、鶏卵紙に焼き付けられたものか、絵はがきなど昔の印刷物です。
立ち姿の写真のガラス原板は非常に特殊で、写真に写っているのが坂本龍馬でなくとも、歴史的価値の高い資料なのです。
当館スタッフが、知られざる坂本龍馬の魅力をお届けする本コラム。
第五回は前回に引き続き、「坂本龍馬と写真」をテーマとしたエピソードをご紹介致します。
前回ご紹介した立ち姿の龍馬の写真について、今回は写真そのものの歴史的価値にも触れてみましょう。
龍馬の姿が写る写真は、現在確認されているもので全部で7種類。
全てコロジオン湿板方式という方法で撮影されたものです。
その中でも最も有名な「坂本龍馬立位写真」だけは、撮影時に使われたガラス製の原板が残っています。
他の6種類は、鶏卵紙に焼き付けられたものか、絵はがきなど昔の印刷物です。
立ち姿の写真のガラス原板は非常に特殊で、写真に写っているのが坂本龍馬でなくとも、歴史的価値の高い資料なのです。
当時写真を撮りたい!と思い立った場合、選択肢は写真師(現代のカメラマン)が開いている撮影局(現代の写真館やフォトスタジオのような場所)に行くか、写真師自身を招くかの二つ。
龍馬の写真の多くは長崎の上野彦馬という写真師の撮影局で撮られており、有名な立ち姿の写真もここで撮ったものです。
ですが、この写真自体はよく見てみると、余計な光が入ってしまっていたり、天井が写っていたりと構図としてはイマイチ。
また、実はこの写真のガラス原板は、写真師・上野の弟子だった土佐藩出身の井上俊三という人物の家に残っていたものです。
それらの要因からこの写真自体は上野ではなく、弟子の井上が撮ったものだとも考えられています。
龍馬の写真の多くは長崎の上野彦馬という写真師の撮影局で撮られており、有名な立ち姿の写真もここで撮ったものです。
ですが、この写真自体はよく見てみると、余計な光が入ってしまっていたり、天井が写っていたりと構図としてはイマイチ。
また、実はこの写真のガラス原板は、写真師・上野の弟子だった土佐藩出身の井上俊三という人物の家に残っていたものです。
それらの要因からこの写真自体は上野ではなく、弟子の井上が撮ったものだとも考えられています。
なぜ龍馬の写真には価値があるの?理由は当時の写真撮影方法にあった
当然ですが、写真を一枚撮るだけでも今と昔では勝手が全く違いました。
昔は写真を撮ってもらう人は、アンブロタイプと呼ばれる鑑賞用のガラス原板か、紙焼きされた鶏卵紙(今でいう写真の状態)をもらうかのどちらかを選びます。
どちらを選ぶかによって、ガラスに塗布する薬品の量を調整し、ガラス表面に残る膜の濃さをそれぞれ変え、被写体の画像をその膜に定着させるのが当時の手法でした。
鑑賞用のガラス原板を選ぶ場合は膜は薄めとなり、下に黒布を敷くなどしてガラスそのものを観賞します。
一方、鶏卵紙の場合は膜を濃くし、何枚か紙に画像を焼き付けます。
紙焼きを選んだ場合は、ガラス表面の膜が濃くなるため、ガラス自体の鑑賞には適しません。
しかし、鑑賞用のガラス原板を選ぶと、表面の膜が薄いため紙に焼き付けることができません。
基本的にはどちらか一方しか選べなかったのです。
昔は写真を撮ってもらう人は、アンブロタイプと呼ばれる鑑賞用のガラス原板か、紙焼きされた鶏卵紙(今でいう写真の状態)をもらうかのどちらかを選びます。
どちらを選ぶかによって、ガラスに塗布する薬品の量を調整し、ガラス表面に残る膜の濃さをそれぞれ変え、被写体の画像をその膜に定着させるのが当時の手法でした。
鑑賞用のガラス原板を選ぶ場合は膜は薄めとなり、下に黒布を敷くなどしてガラスそのものを観賞します。
一方、鶏卵紙の場合は膜を濃くし、何枚か紙に画像を焼き付けます。
紙焼きを選んだ場合は、ガラス表面の膜が濃くなるため、ガラス自体の鑑賞には適しません。
しかし、鑑賞用のガラス原板を選ぶと、表面の膜が薄いため紙に焼き付けることができません。
基本的にはどちらか一方しか選べなかったのです。
ガラス原板を選べば紙への印刷は難しく、紙焼きを選んだ場合、ガラス自体の鑑賞には適さないため、ガラス原板は写真師の手元に残り、その後、廃棄されたり膜を剥いで再利用されます。
龍馬の該当の写真は、鑑賞に耐えうるガラス原板である上、この原板から紙焼きされたと考えられるセピア色の写真も複数確認されています。
ガラス原板の鑑賞と紙焼きの両方ができる湿板写真は非常に稀。
この理由はガラス原板の膜の濃度が、二つの用途のちょうど中間となる絶妙な濃さだったからだということが、東京都写真美術館の調査で明らかになっています。
また、ガラスは高品質なものを使用しているので、外国製ではないか、とも推測されています。
これらのことからこの龍馬の写真は、日本の歴史における数々の写真の中でも、大変貴重な写真資料のひとつでもあるのです。
龍馬の該当の写真は、鑑賞に耐えうるガラス原板である上、この原板から紙焼きされたと考えられるセピア色の写真も複数確認されています。
ガラス原板の鑑賞と紙焼きの両方ができる湿板写真は非常に稀。
この理由はガラス原板の膜の濃度が、二つの用途のちょうど中間となる絶妙な濃さだったからだということが、東京都写真美術館の調査で明らかになっています。
また、ガラスは高品質なものを使用しているので、外国製ではないか、とも推測されています。
これらのことからこの龍馬の写真は、日本の歴史における数々の写真の中でも、大変貴重な写真資料のひとつでもあるのです。
先述の通り、この龍馬の写真のガラス原板は元々は土佐藩出身の井上俊三の家にあったものです。
それを昭和12年に高知の郷土史家・武市佐市郎が井上家から発見し、同じく高知の偉人でもある山内容堂、後藤象二郎のガラス原板と共に武市家に引き取っていました。
それから数年後、昭和20年の高知大空襲で井上家は被災。
家に残っていた写真資料は全て、空襲の炎で焼けてなくなってしまったのだそう。
もし、武市佐市郎が井上家から発見し、引き取っていなければ、この龍馬の写真も今の世には残されていなかったのかもしれません。
そう考えると、この龍馬のガラス原板写真がこんなに綺麗な状態で今も残っているのは、非常に奇跡的なことだと言えるでしょう。
それを昭和12年に高知の郷土史家・武市佐市郎が井上家から発見し、同じく高知の偉人でもある山内容堂、後藤象二郎のガラス原板と共に武市家に引き取っていました。
それから数年後、昭和20年の高知大空襲で井上家は被災。
家に残っていた写真資料は全て、空襲の炎で焼けてなくなってしまったのだそう。
もし、武市佐市郎が井上家から発見し、引き取っていなければ、この龍馬の写真も今の世には残されていなかったのかもしれません。
そう考えると、この龍馬のガラス原板写真がこんなに綺麗な状態で今も残っているのは、非常に奇跡的なことだと言えるでしょう。
高知県立坂本龍馬記念館
開催時間/9:00~17:00(最終入館は16:30)、定休日なし
開催場所/高知県立坂本龍馬記念館(高知県高知市浦戸城山830)
駐車場/あり 普通40台・障害者用2台バス4台
料金/あり 企画展期間700円 展示替期間500円 高校生以下無料
問い合わせ先/高知県立坂本龍馬記念館 TEL.088-841-0001
URL/https://ryoma-kinenkan.jp
開催時間/9:00~17:00(最終入館は16:30)、定休日なし
開催場所/高知県立坂本龍馬記念館(高知県高知市浦戸城山830)
駐車場/あり 普通40台・障害者用2台バス4台
料金/あり 企画展期間700円 展示替期間500円 高校生以下無料
問い合わせ先/高知県立坂本龍馬記念館 TEL.088-841-0001
URL/https://ryoma-kinenkan.jp
reported by 高知県立坂本龍馬記念館