偉人・坂本龍馬の魅力を発信!『知っちゅうかえ、龍馬?』Part.2
高知県立坂本龍馬記念館 イマナニ体験レポート
エピソード:龍馬が生涯大切にしたお守り その2
こんにちは、坂本龍馬記念館です!
記念館スタッフが、知られざる坂本龍馬の魅力をお届けする本コラム。
第2回となる今回は前回に引き続き、坂本龍馬が生涯大事にしていたお守りから、彼の知られざる秘密をひも解いて行きましょう。
前回の内容はこちら
前回のコラムでご紹介した、坂本龍馬が生涯お守りのようにして大事にしていた父親からの手紙。
その書簡に書かれた3つの心得書きは、実は思わずクスっと笑ってしまう龍馬の人間性が垣間見えるものでした。
その詳細を、今回早速解説していきたいと思います!
記念館スタッフが、知られざる坂本龍馬の魅力をお届けする本コラム。
第2回となる今回は前回に引き続き、坂本龍馬が生涯大事にしていたお守りから、彼の知られざる秘密をひも解いて行きましょう。
前回の内容はこちら
前回のコラムでご紹介した、坂本龍馬が生涯お守りのようにして大事にしていた父親からの手紙。
その書簡に書かれた3つの心得書きは、実は思わずクスっと笑ってしまう龍馬の人間性が垣間見えるものでした。
その詳細を、今回早速解説していきたいと思います!
まず一つ目の項目である、「片時も忠義と孝行を忘れずに修業に励むこと」。
これは読んで字の如くなのですが、問題は二つ目、三つ目の項目にありました。
今回スポットを当てるのは、二条目の「道具に心移りをして無駄遣いをしてはならない」というもの。
この内容は実は龍馬という人がそもそも非常に新しい物好きで、刀も大好きな人であったという事が大きく由来しています。
新しいものや刀が好きなだけであればよかったのですが、彼の欠点は後のことをあまり考えずそれらを購入する癖があった点!
いわゆる浪費癖があり、それを父親に「ほどほどにしなさい」と諫められていたというのが、この二条目の真相という訳ですね。
これは読んで字の如くなのですが、問題は二つ目、三つ目の項目にありました。
今回スポットを当てるのは、二条目の「道具に心移りをして無駄遣いをしてはならない」というもの。
この内容は実は龍馬という人がそもそも非常に新しい物好きで、刀も大好きな人であったという事が大きく由来しています。
新しいものや刀が好きなだけであればよかったのですが、彼の欠点は後のことをあまり考えずそれらを購入する癖があった点!
いわゆる浪費癖があり、それを父親に「ほどほどにしなさい」と諫められていたというのが、この二条目の真相という訳ですね。
新しいもの大好き!浪費癖のあった龍馬が家族に怒られたエピソードとは?
父親に指摘されるほどの龍馬の浪費癖エピソードの詳細がこちら。
龍馬が14歳の頃、当時土佐で剣術修行を始めていた彼に、21歳年上の兄・権平がなんと最高級の刀をオーダーメイドで贈っています。
この刀は当時坂本家の近所に住んでいた左行秀(さのゆきひで)という刀工が作ったもの。
現在左行秀の刀は、新々刀期(幕末頃)の刀の中では全国でも最上級の評価を受けているほどの逸品です。
また龍馬は幼い頃から「備前長船(おさふね) 勝光・宗光」合作の脇差も非常に愛して大事にしていました。
これも室町時代に作られた、非常に素晴らしい出来の刀です。
それらの名刀があり、さらに父親にも書簡で念押しをされていたにもかかわらず…。
なんと龍馬は20歳で土佐へ戻ってきた際、つい新しい刀を作って帰ってきたのです。
龍馬が14歳の頃、当時土佐で剣術修行を始めていた彼に、21歳年上の兄・権平がなんと最高級の刀をオーダーメイドで贈っています。
この刀は当時坂本家の近所に住んでいた左行秀(さのゆきひで)という刀工が作ったもの。
現在左行秀の刀は、新々刀期(幕末頃)の刀の中では全国でも最上級の評価を受けているほどの逸品です。
また龍馬は幼い頃から「備前長船(おさふね) 勝光・宗光」合作の脇差も非常に愛して大事にしていました。
これも室町時代に作られた、非常に素晴らしい出来の刀です。
それらの名刀があり、さらに父親にも書簡で念押しをされていたにもかかわらず…。
なんと龍馬は20歳で土佐へ戻ってきた際、つい新しい刀を作って帰ってきたのです。
彼が刀を作ったのは江戸剣術修業から帰る直前、相模国鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)に住んでいた「圀秀(くにひで)」という刀工のもと。
どうやら彼が江戸で通っていた剣術道場に、この圀秀が作った刀を持つ人が複数いたのがその理由のようでした。
皆が持っている刀がとても良い刀だった為、自分も欲しくなり新しく作った龍馬。
当然彼は父親と兄に、このことをかなりこっぴどく怒られたのではないでしょうか。
さらにこの時作った刀を、龍馬はその後あっさりと友人の広瀬健太に譲り渡しています。
その顛末も、思わずクスっとしてしまうような本エピソードのオチとなっていますね。
どうやら彼が江戸で通っていた剣術道場に、この圀秀が作った刀を持つ人が複数いたのがその理由のようでした。
皆が持っている刀がとても良い刀だった為、自分も欲しくなり新しく作った龍馬。
当然彼は父親と兄に、このことをかなりこっぴどく怒られたのではないでしょうか。
さらにこの時作った刀を、龍馬はその後あっさりと友人の広瀬健太に譲り渡しています。
その顛末も、思わずクスっとしてしまうような本エピソードのオチとなっていますね。
そんなトホホ話がある龍馬ですが、土佐脱藩後もその浪費癖はどうやら抜けなかった様子。
それ以降も頻繁に刀を替えたり、刀のみに飽き足らずピストルや時計、写真などにも興味を示し、この時代には珍しいブーツを履いていた事も知る人はきっと多いはず。
龍馬のそんな性格を見抜いていたからこそ、父親は心得書きの二条目にこの内容を書いたのでしょう。
とはいえ龍馬があまりお金や物に頓着せず、「道具に心移り」するようになったのは、幼少期から彼に最高級のものを与えていた父親や兄にも原因の一端があるように思います。
裕福な郷士の家に年の離れた末っ子として生まれ、幼少の頃から大層可愛がられて育ってきた坂本龍馬。
幼い頃からいいものを与えられすぎると、後々までその人の気質に影響を与えてしまうという典型的な例なのかもしれませんね。
それ以降も頻繁に刀を替えたり、刀のみに飽き足らずピストルや時計、写真などにも興味を示し、この時代には珍しいブーツを履いていた事も知る人はきっと多いはず。
龍馬のそんな性格を見抜いていたからこそ、父親は心得書きの二条目にこの内容を書いたのでしょう。
とはいえ龍馬があまりお金や物に頓着せず、「道具に心移り」するようになったのは、幼少期から彼に最高級のものを与えていた父親や兄にも原因の一端があるように思います。
裕福な郷士の家に年の離れた末っ子として生まれ、幼少の頃から大層可愛がられて育ってきた坂本龍馬。
幼い頃からいいものを与えられすぎると、後々までその人の気質に影響を与えてしまうという典型的な例なのかもしれませんね。
高知県立坂本龍馬記念館
開催日/9:00~17:00(最終入館は16:30)、定休日なし
開催場所/高知県立坂本龍馬記念館(高知県高知市浦戸城山830)
駐車場/あり 普通40台・障害者用2台バス4台
料金/あり 企画展期間700円 展示替期間500円 高校生以下無料
問い合わせ先/高知県立坂本龍馬記念館 総務・企画課 TEL.088-841-0001
URL/https://ryoma-kinenkan.jp
開催日/9:00~17:00(最終入館は16:30)、定休日なし
開催場所/高知県立坂本龍馬記念館(高知県高知市浦戸城山830)
駐車場/あり 普通40台・障害者用2台バス4台
料金/あり 企画展期間700円 展示替期間500円 高校生以下無料
問い合わせ先/高知県立坂本龍馬記念館 総務・企画課 TEL.088-841-0001
URL/https://ryoma-kinenkan.jp
reported by 高知県立坂本龍馬記念館