大島・村上海賊ミュージアムの魅力を探る! 【愛媛/今治市】

  

しまなみ海道を渡って大島の歴史に触れよう♪

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第一次木津川口合戦イメージ(香川元太郎画・今治市村上海賊ミュージアム提供)

今治市からしまなみ海道を渡ると、最初に出迎えてくれるのが「大島」。

瀬戸内海に浮かぶこの島は、海と豊かな自然に囲まれた美しい場所であり、しまなみ海道を旅する人々にとって絶好の寄り道スポットです。

サイクリングやドライブでも立ち寄りやすく、大島ならではの新鮮な海の幸やアクティビティや風景が楽しめちゃいます。

そしてこの小さな島には、歴史好きにも風景を愛する人々にもたまらない魅力がぎっしり詰まっている場所をご存じですか?

それが宮窪にある村上海賊ミュージアムです。

芸予諸島を中心に活躍していた村上海賊の歴史を紐解く貴重な資料を展示しているミュージアムです。

こちらでは、海賊の実態が貴重な古文書や出土品から当時の文化などに触れる事ができますよ。
今回はそんな村上海賊たちの歴史や村上海賊ミュージアムについてご紹介していきます♪

第一次木津川口合戦イメージ(香川元太郎画・今治市村上海賊ミュージアム提供)

村上海賊がどんな人たちか知っていますか?

皆さん、村上海賊は知っていますか?
わたしも今治出身なので名前は知っていますが、恥ずかしながら大島の海賊? 水軍? というイメージしかありません。

村上海賊(むらかみかいぞく)は、戦国時代に瀬戸内で活躍した海上勢力です。
「海賊」という名前がついていますが、ただの輩や盗賊ではありません。

村上海賊は通行料と引き換えに船の警固や水先案内などの安全保障を行い生計を立てていたんです!

雇われた海賊は船や乗組員を危険から守るためのボディーガードや、航海中に海の状況を把握して目的地までの安全な航路を選ぶ手助けをする水先案内を行っていました。

これを「上乗り」といいます。
船旅をより安全にするための手段として利用されていたそうです。

また「過所旗」という通行料を支払う代わりに渡される通行保障は海上を安全に航行するための重要なアイテムでした。

戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスは、「怪しい船に出会ったときにこれを見せるがよい」と、「能島殿」から過所旗を渡されています。

この旗を見せることで、海上での襲撃や妨害を避けることができ、安全に通行できる保障を得られる仕組みでした。

能島城を遠望するルイス・フロイスイメージ(香川元太郎画・今治市村上海賊ミュージアム提供)

ルイス・フロイスは、能島城には「日本最大の海賊」が住んでいると記しているそうです。

「日本最大の海賊」が「能島殿」、そのライバルとして「来島殿」が挙げられており、村上海賊が外国人の目からしても海賊として優秀であったことがわかります!

村上海賊は、地元の大名に協力し、海での戦いに参加することもありました。

海上での戦術や操船技術を得意としていたため、瀬戸内海を利用する多くの人々にとって頼れる存在でした。
彼らは「海のスペシャリスト」として瀬戸内の海上交通や流通に貢献していたそうです。

村上海賊は、14世紀中頃から戦国時代にかけて、瀬戸内海で活躍した一族です。

「能島」「来島」「因島」という3つの島に拠点を置き、それぞれの家が連携したり、時に対立したりしながらも、同族意識を持って活動していました。

この3家をまとめて「三島村上氏」と呼ぶこともあります。

来島村上氏は伊予国(現在の愛媛県)の河野氏、因島村上氏は中国地方の毛利氏との関係が深かった一方で、能島村上氏は独立性が強く、毛利氏や大友氏などと時に協力し、時に対立するなど独自の活動を続けました。

能島城(のしまじょう)は、瀬戸内海の能島に築かれた海賊の城で、特に航路を監視して通行料を徴収するための拠点として重要な役割を果たしていました。

海賊たちは自分たちのナワバリ(領域)を通る船から通行料を取るため、航路がよく見える場所に城を建てたそう。

海賊の城の特徴は①島全部を城にしている(全国的にも珍しい)、②海に面した岬や鼻の先端に築く、③海が望める山上に築く、など、海を意識した城で、「海城」とも呼ばれるそうです。

城の岩礁に掘られた穴(岩礁ピット)は船をつなぐ柱を立てるためのものだったと考えられています。

以前は人が住んでいない砦だと思われていましたが、発掘調査で多くの生活道具が見つかり、実際に海賊たちがそこで生活していたことが明らかになりました。

能島城跡出土土錘(今治市村上海賊ミュージアム蔵)

能島城跡からは漁網につける土のおもり(土錘)が大量に出土されており、漁師のように
魚をとっていたこともわかっているそうです!

村上海賊の生業イメージ(香川元太郎画・今治市村上海賊ミュージアム提供)

村上海賊は、海のスペシャリスト!

村上海賊は、芸予諸島という海の難所で培った優れた操船技術を活かして平時には船の海上案内や警固(ボディーガード)、時には物流にも関わり、瀬戸内の海上交通を下支えしていました。

戦国時代には、周辺の大名たちに対して水軍力の提供や海上交通の安全保障を行うことでwin-winの関係を築いていき、瀬戸内周辺の政治や軍事にも大きな影響力をもつようになりました。

村上景親肖像画(今治市村上海賊ミュージアム蔵)

村上海賊ミュージアムが所蔵する資料は、戦国時代の能島村上家当主村上武吉の次男村上景親の子孫に伝わったものです。

ミュージアムのキャラクターはこちらの「かげちかくん」。
渋めの海賊やお侍さんではないので、かわいいですね♪


見近島出土品(村上海賊ミュージアム保管)

村上海賊の物流基地? 見近島!

能島城跡から1㎞ほどの距離にある見近島(伯方大島大橋の下)には、中国・朝鮮・ベトナムなどの海外の陶磁器がたくさん出土しています。
ミュージアムで見ることができますよ。

最大の特徴は同じような形・大きさ・もようの皿が大量にでてきているということ!
これは商品になる予定だったものだと考えられており、村上海賊が物流に関わった可能性があるとされています。 

ほうろくイメージ模型(今治市村上海賊ミュージアム蔵)

一方で戦時には、巧みな航海技術で船を操り、「ほうろく火矢」など火薬を使った戦術を得意としていました。

大山祇神社法楽連歌イメージ(香川元太郎画・今治市村上海賊ミュージアム提供)

彼らは一般にイメージされる野蛮な「海賊」ではなく、文化人で、茶や香を楽しんだり、連歌を詠んだりする一面もありました。

海上保安庁のようで、商人のような貴族のような振る舞い…何でもできちゃうすごい人達な事にびっくりです!
彼らの歴史を知ると、「海賊」が必ずしも悪いイメージだけではないと思います。

「襲う」「奪う」よりもむしろ「守る」。
この言葉を聞いてとても頼りにされてきたんだと感じました。

村上海賊は、この地を渡る船の安全や祖先から受け継いだ信仰、かけがえのない穏やかな暮らしや、大名顔負けの優雅な文化、そして何よりもこの美しい瀬戸内海の風景を下支えしていました。

村上海賊ミュージアムでは、村上海賊の活躍が詳しくわかるようになっていますよ。

海賊ミュージアムの歴史

「村上水軍博物館」は2004年10月に開館しました。
その後2020年4月1日から館名を変更し、「今治市村上海賊ミュージアム」に。

「村上水軍」の方が聞き慣れている方も多いので、なぜ「村上海賊」に変えたのか、疑問に思われる方も多いようです。

村上海賊をさして「水軍」と呼ぶようになったのは、江戸時代以降であり、「村上水軍」は、近代に海軍が自分たちの前身として「水軍」の研究をするなかで出てきた言葉です。

しかし、「水軍」という言葉は海上での軍隊を指す言葉。
ここまで説明してきたように、海賊たちの活動は「水軍」だけではありません。

「水軍」では彼らの多様な活動を表現できないため、最近では村上海賊が活躍していた当時の古文書などに見える「海賊」と言う呼称をそのまま用いているようです。

貴重な展示物を見て、歴史に触れて見よう♪

ミュージアムに入っていきましょう!
まず目に飛び込んでくるのが、小早船の復元船。

海賊たちが使っていた船を間近で見ると、思わず「この船で海を駆け抜けたのか!」と驚くはずです。
船を漕ぐ時に使う道具は「櫓(ろ)」は大きく重たそうなので自分がするなら…と考えただけで全身筋肉痛になりそう。

では、展示室へ行ってみましょう♪

常設展示室では村上海賊の活躍を、古文書や復元品を通してわかりやすく紹介しており村上海賊の生業や彼らが活躍した戦い、そしてその影響力を知ることができます。

村上海賊は単なる荒くれ者ではなく、船の操作や戦術に長けた海戦のスペシャリストであり、周辺の戦国大名たちとも取引を行う知恵者でもありました。

展示には彼らの使用した武器や防具、貴重な資料がたくさん並んでいます。

戦国時代へタイムスリップ?! のような体験型展示。

さらに、ミュージアムの魅力は「見るだけ」にとどまりません。
家族や友達同士で楽しめる体験型展示もあります。

なんと、VRで戦国時代を体験する事ができます!
タイムスリップしたかのような感覚!
なかなかできる体験ではないので気になる方はぜひ! (有料)

着付け体験では小さい子供~大人まで、家族で無料で体験することが可能です。
甲冑や小袖を着て、村上海賊の気分を味わってみてはいかがですか?

子どもだけでなく大人も楽しめる事間違いなしです。
楽しく体験学習しましょう!

学芸員の方の熱意のこもった解説もすごかった!

今回は学芸員の松花さんにお話を伺いながらミュージアムを回ってきました。
松花さんは、学生時代から村上海賊に興味があり、現在は学芸員として村上海賊を皆さんに知ってもらうため工夫を重ねています。

好きな事をお仕事にされているってすごいですよね!
松花さんは、「KAIZOKU(海賊)という言葉を世界中に広めたい。

海賊を、海外の人にとってNINJYA(忍者)・SAMURAI(侍)に並ぶ存在にしたい。」と日々努力されています。
来館した際に、質問すると知らなかった事を色々教えてもらえるかもしれません。

カフェテリアやミュージアムショップも大島や海賊がいっぱい!

歴史を楽しんだ後は施設内のカフェテリアで大島ならでは食材を使用した食べ物や飲み物も味わってみて下さい! (※商品は取材当時のもの)

ミュージアムショップではここでしか手に入らないものもたくさん。
村上海賊の家紋や能島城、船などの資料がデザインされた今治タオルもお土産に良さそうです。

Tシャツやキーホルダーもお土産に人気のようです♪

ミュージアムは景色も楽しめる!

村上海賊ミュージアムは、大島北部の高台に位置しているため、そのロケーション自体も大きな魅力です。

2階の展望室から見渡す瀬戸内海の景色も圧巻です!
また、ミュージアムを出た後、施設周辺でも一息ついてみてください。
青く広がる海、点在する島々、そしてしまなみ海道が、美しい瞬間を提供してくれます。

地元満喫! 大島の味も堪能!

また、目の前には能島水軍レストランがあるので宮窪鯛めしが食べられます。
能島城跡周辺の潮流は最大10ノット(時速18㎞)にもなる急流。

そんな急流で育った宮窪の鯛は「10kt(テンノット)真鯛」というブランドになっているようです。

宮窪町漁協では珍しい潮流体験もできるので近辺で食べて楽しむ事までできますよ!

歴史を満喫する特別な一日に

いかがでしたか?
歴史が苦手な子どもや大人の方でも、知らなかった歴史と美しい景色を楽しめるのではないでしょうか。
わたしもとても観覧しやすく、楽しめました。

お休みの日に家族や友達と一緒に大島を訪れ、村上海賊の世界に飛び込んでみて下さい。
歴史と自然、そして美味しい食事を満喫できる特別な一日が、きっとあなたを待っています!

ぜひ、大島の魅力とともに村上海賊の歴史にも触れて見てくださいね。

  • ■ 村上海賊ミュージアム
  • 場所/愛媛県今治市宮窪町宮窪1285
  • 営業時間/午前9時~午後5時
  • 駐車場/普通車50台、大型バス等3台(無料)
  • ※レンタサイクル等駐輪場もあります。(10台)
  • 休館日/毎週月曜日(祝日の場合は原則翌日振替)12月29日から1月3日まで
  • 料金/一般:310円 学生:160円 団体割引(20人以上):大人一般250円、学生130円
  • 問い合わせ先/村上海賊ミュージアム
  • 電話番号/0897-74-1065

村上海賊ミュージアム 公式HPはこちら
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reported by イマナニ編集部 おまい
イマナニ特集