開館40周年!『子規記念博物館』で俳人・正岡子規の足跡を辿ろう

  

愛媛/松山ミュージアム Vol.4 松山市立子規記念博物館

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松山随一の観光街・道後の一角にある『松山市立子規記念博物館』。
その名の通りこの博物館では、松山市出身の偉人である俳人・正岡子規の貴重な足跡をたどる事ができます。

『柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺』『鶏頭の 十四五本も ありぬべし』『春や昔 十五万石の 城下哉』。
生前多くの名句を残し、俳句文化を広める事に生涯を費やした正岡子規。

彼の人生はわずか35年に満たない短いものでしたが、その功績や人となりを慕っていた多くの人々に、今なお唯一無二の文学者として愛され続けています。

ここ『松山市立子規記念博物館』では、そんな正岡子規の生涯や彼の遺した功績、そして彼と生まれ故郷・松山の深い縁を、様々な資料から感じることができます。

今回はそんなこの施設の魅力を、常設展の展示内容を中心にご紹介!
なかには当時の子規の暮らしを垣間見る事のできる貴重な資料や、彼が情熱を注いだ俳句作品や書簡などの資料も展示。

地元だけでなく県外からも多くの方が訪れるこの博物館で、ぜひ皆さんも正岡子規の足跡に触れてみてはいかがでしょうか。

子規を輩出した松山の歴史~俳人・子規の生まれ育った足跡を辿る

まず初めに常設展エリアに足を踏み入れると、在りし日の子規の姿を映した写真に目が止まります。

写真と共に掲示されているのは、彼が生前友人に託した墓誌銘と『松山や 秋より高き 天主閣』の句。
人生の多くを東京で過ごした子規でしたが、それでも彼が自らの生まれ故郷である松山に大きな愛を持っていたことがうかがえます。

展示のはじめは、正岡子規が生まれる前の愛媛・松山の郷土史を辿るコーナーへ。

俳人・正岡子規を輩出した松山の地は、実は彼が生まれる前から非常に文芸が盛んな土地でもあった様子。
そんな街に生まれた彼は、幼い頃はどちらかと言えば大人しい男の子だったとのこと。

幼少の頃に父を亡くしますが、母方の親族に囲まれ賑やかな子供時代を過ごしたようです。

小学校を出た彼は地元松山の藩校・明教館の流れを汲む松山中学校へと進学します。

当時は松山城のお堀沿いにあった松山中学校ですが、現在は松山東高等学校の敷地内にその一部の建物が当時のまま移築されて残っています。
そうして松山中学校に通い、学業に励み知識や素養を身に付けながら、子規は少しずつ文化人として、そして彼の生涯の生業の1つであったジャーナリストとしての片鱗を見せ始めるのです。

館内の展示の中には、彼が在籍中に友人らと漢詩サークルを結成し、その活動の一環で創った手書きの雑誌なども。

友人らの中で一番の年少者でありながらも、そのメンバーのリーダー格だった子規。
サークル活動に精を出し発行物の編集をこの頃にはすでに経験するような、そんな活動的な少年に徐々に成長していきました。

その後子規は松山での勉学に飽き足らず、東京にいた叔父の加藤拓川のつてを辿り上京します。

そこで出会ったのが、その後も彼の人生で唯一無二の親友となる夏目漱石でした。
東京で共に学問に励んだ子規と漱石。共通の趣味を通じて彼らが仲良くなるのに、そう時間は掛からなかったようです。

そんな子規が俳句を始めたのもちょうどこの頃、彼が18歳の頃だったといわれています。
今でこそ俳人として名高い子規ですが、彼の俳句との最初の関わりは「俳句を研究すること」が始まりでした。

松尾芭蕉を始めとした、江戸時代からこれまで数多くの俳人が読んだたくさんの句。

それらを季語ごとに分類したり、俳人ごとの傾向や句の特色を調べたり。
そんな気の遠くなるような作業を紙と筆で地道に、その後も10年以上の歳月を掛けて行っていたようです。

その後通っていた帝国大学を中退した子規は、日本新聞という新聞社に入社します。
この会社の社長であった陸羯南と彼の叔父である加藤拓川が懇意にしていた縁から、子規は入社する運びとなったのですが、この羯南と子規の出会いも彼らの人生にとって大きな転換点のひとつともなりました。

社が発行する新聞の小さな欄を担当したり、記者として記事執筆の仕事を徐々に任され始めた子規。
その中で文化人として、ジャーナリストとしての類稀なる才能を、彼は徐々に発揮し始めていきます。

入社から数年後、日清戦争が勃発。戦地の状況を伝えるべく、現地にも大勢が日本から従軍記者として派遣されました。
戦争が終結に近づく中、子規も従軍記者として戦地に派遣されます。

彼が現地に派遣された際に実際に使っていた従軍かばんは、本館の資料の中でも目玉の展示のひとつとなっています。

そうして戦地に赴いた後、子規は現地から日本へ戻る船の中で喀血し倒れてしまいます。

元々患っていた肺炎の影響もあり、その後も身体の容体があまり思わしくなかった子規。
病気の療養をするべく彼は東京に戻らず、生まれ故郷の松山に一度帰る選択を取ります。

懐かしい土地に一人戻ってきた子規。そこで再会したのは、なんと当時松山で教鞭を取っていた親友の夏目漱石でした。

2Fフロアにはさらに子規の人生を追体験できるコーナーも!

博物館の2Fは、そんな子規と漱石の松山での日々の資料を展示したエリアから始まります。
数々の資料と並んで、なんとここには二人が共に暮らした場所「愚陀仏庵」の復元展示が!

この愚陀仏庵の展示には見学者自らも足を踏み入れることができ、当時の子規の生活をよりリアルに感じられるようになっています。
耳を澄ませると部屋の中からは、子規や漱石が当時かわしていたであろう会話も聞くことができるそうですよ。

この愚陀仏庵で静養しながら、地元松山の人々と句会を開いたり俳句の指導をしたり、また俳句に関しての理論書を執筆し始めた子規。
たった約50日間という非常に短い時間でしたが、多くの理解者や知己の友に囲まれ彼は有意義な時間を過ごしたようです。

その後子規は再び東京へ戻るのですが、そこで自身が脊椎カリエスという難病に侵されていることが発覚します。
病は数年かけて彼の身体を侵食し、みるみるうちに子規は布団から起き上がる事もできなくなりました。

しかしそれでも彼は俳句や短歌、文学への情熱を失うことはありませんでした。
病と闘いながら文字通り最期の瞬間まで、彼は俳人としてその人生を全うしたのです。

子規が東京に戻ってからの足跡を展示するエリアには、彼がいかに精力的に俳句や文章の執筆を行っていたかが仔細に分かる資料が多数あります。
雑誌「ほととぎす」や、子規庵で開かれた句会の様子を描いた資料。

寝たきりで執筆した随筆「墨汁一滴」「病牀六尺」の原稿や、それにまつわるやりとりが書かれた手紙なども展示されています。
「病牀六尺」については彼が亡くなる2日前まで、当時の新聞に掲載されていたそうです。

また病床の子規にとって、絵を描くことも彼の楽しみのひとつでした。
果物や野菜、家にあった子どもの玩具など。
それらを寝たきりのまま写生した絵なども、多数ここには展示されています。

こんな風に、亡くなる数日前まで自身の手で創作を続けていた正岡子規。

明治35年9月18日、亡くなる数時間前に家族や友人に見守られながら。彼は辞世の句となる絶筆三句を最期の力を振り絞り自らの筆で書き残し、そして翌9月19日にこの世を去りました。
35歳の誕生日を迎える、僅か1ヵ月前のことでした。

子規が亡くなった後も彼の功績を後世に伝えるべく、多くの人々がその素晴らしさを世に広め続けています。

彼の死後に小説家としての道を歩み始めた夏目漱石、絶筆三句を綴る子規の傍にも寄り添った俳人・河東碧梧桐。
そして彼の遺志を継ぎ雑誌「ほととぎす」の編集長として、俳句の普及に奔走した高浜虚子。

彼らを始めとした大勢の尽力によって、今もなお正岡子規の功績は世に語り継がれているのです。

企画展や特別展、グッズショップもあわせて見てみよう

正岡子規の人生を知る事ができるこの常設展では数々の展示資料と共に、子規の生活や人となりについて映像で知る事のできるコーナーも。

また彼が生涯愛した俳句という文化に触れ、実際の俳人のように俳句を短冊に書いて楽しめるコーナーなどもあります。
愚陀仏庵の復元なども含め展示を見るだけでなく自身の体験と共に、子規を知る事もできるようになっていますよ。

常設展と共に、施設の中では時期ごとに変わる特別企画展や特別展なども開催されている様子。

現在は子規の死後に彼の功績を広め続けた人々にスポットを当てた「つたえ、つなぐ 松山の子規顕彰ヒストリー」が、会期を延長して7月19日まで開催中。
興味のある方は、こちらもぜひあわせて足を運んで頂ければと思います。

さらに展示を回った後には、1Fのショップもチェックしてみましょう。

こちらのショップでは、子規にまつわる書籍や俳句にまつわるアイテムが多数取り揃えられている様子。
子規の描いた絵を使用した便せんや絵葉書、トートバッグやブックカバーなど。普段使いのできるグッズも、たくさん販売されています。

今なお多くの人に愛され、愛媛松山の文学の歴史に欠かす事の出来ない偉人・正岡子規。
没後120年目を迎える今年の夏は、彼の遺した功績や足跡を博物館で辿ってみてもいいかもしれませんね。

■ 松山市立子規記念博物館
住所:愛媛県松山市道後公園1-30
問合先:松山市立子規記念博物館
電話番号:089-931-5566
営業時間:5月1日~10月31日 午前9時~午後6時(入館は午後5時30分まで)/11月1日~4月30日 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休日:火曜日(祝日の場合は翌日)
料金:個人400円/団体(20人以上)320円・高校生以下は無料・65歳以上の高齢者個人200円/団体160円(証明書提示要)
駐車場:22台(30分あたり100円)
イマナニで「松山市立子規記念博物館」の情報を見る
松山市立子規記念博物館 公式HPはこちら


reported by イマナニ編集部 曽我美なつめ
イマナニ特集