偉人・坂本龍馬の魅力を発信!『知っちゅうかえ、龍馬?』Part.9

  

高知県立坂本龍馬記念館    イマナニ体験レポート

エピソード:龍馬の度量の大きさ

こんにちは!高知県立坂本龍馬記念館です。
本館スタッフが、坂本龍馬の知られざる素顔をご紹介していく本コラム。

第9回目となる今回は、「龍馬の度量の大きさ」についての逸話を語りたいと思います。
龍馬の親友といっても過言ではない長府藩士の三吉慎蔵は、龍馬の人となりについて、「過激ナルコト毫モ無シ。且ツ声高ニ事ヲ論ズル様ノコトモナク至極オトナシキ人ナリ。容貌ヲ一見スレバ豪気ニ見受ケラルルモ、万事温和ニ事ヲ処スル人ナリ。但シ胆力ハ極メテ大ナリ」と語っています。

これはずばり、龍馬を最も的確に評した言葉と言えるでしょう。
彼以外にも龍馬の度量や胆力、心の大きさを称賛したり、豪傑と評した人々は多数存在しています。
今回は、そんな龍馬の度量の大きさを示す話を、妻・お龍の回顧録などからいくつかピックアップしていきましょう。
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龍馬にまつわる様々な手紙の中からは、彼がどんな人物であったかが読み取れます
龍馬にまつわる様々な手紙の中からは、彼がどんな人物であったかが読み取れます まるで太平洋のように広く豪快な人物だったとされる龍馬。彼の大きな魅力のひとつですね
幕末の時代に、龍馬が中心となり結成された海援隊。
出来たばかりのこの組織には役者や貧乏な者も参加しており、当時龍馬はそれを土佐藩参政である後藤象二郎に笑われたことがありました。

この頃の「役者」という言葉には、「身分の低い者」という意味が含まれます。
自分が創設した組織に軽い嘲笑を含めた発言をされた龍馬でしたが、そんな後藤に対して彼は「役者も居れば乞食もいるが、腸(はらわた)だけは綺麗だぞ」と切り返しました。

とは言えおそらくですが、後藤の性格と龍馬との関係性から考えて、後藤としてはその発言にきっと悪気はなかったのでしょう。
しかし藩の参政から笑われてこれだけ格好良く切り返せるとは、何とも頼もしい隊長ですね。
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後藤象二郎写真(国立国会図書館ウェブサイトより引用)
後藤象二郎写真(国立国会図書館ウェブサイトより引用) 赤と白の旗が印象的な海援隊旗。日本のみならず世界を見据えた画期的な組織でした

敵であっても受け入れる!?身分・立場にかかわらず人となりを大事にした龍馬

また海援隊が入隊条件にこだわらないのは身分だけではなく、思想や所属、国籍にもこだわりませんでした。
海援隊の前身である亀山社中に入った越前出身の小谷耕蔵は、佐幕的な考えを持っており、それをよく思わない他の隊士らは彼を追い出そうと画策したこともあったようです。

しかし、龍馬は「一人くらい考えの違う者がいても構わない」として意に介しませんでした。
「考え方が違っても操船技術を一緒に学ぶことはできるし、一人の佐幕派を説得できないようでは、国を変えることもできない」と言って、追い出そうとした人たちを諫めました。

その発想はこの時すでに日本のみならず、世界を見据えて行動を始めていた龍馬らしい理論ですね。
このエピソードからもわかるように、坂本龍馬という人物は力や数の論理で追い出すのではなく、三吉の言葉通り何事も温和に解決する人だったようです。
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龍馬と海援隊の面々。近代的な商社に近い、当時としてはかなり先進的な組織です
龍馬と海援隊の面々。近代的な商社に近い、当時としてはかなり先進的な組織です 当館には龍馬を始め、海援隊の活躍などについてもわかりやすい立体展示も多数!
また海援隊には、所属が幕府側の人物もいました。
橋本久太夫というその人物は、大坂湾に停泊している幕府の船で酒に酔って喧嘩をし、そのまま海に飛び込んで龍馬らの船に乗り込み、自らを雇って欲しいと願い入れてきたのです(実はこれ、スパイが敵方に潜り込む時の古典的手法です)。

しかしそれを知ってか知らずか、龍馬はそのまま橋本を受け入れ、彼に対してもずいぶん目をかけていました。
龍馬の妻・お龍も彼のことを気に入っていたようで、結婚の世話までしています。

橋本は、快活な気質で、高い操船技術を持っていました。
たとえ幕府の所属だったとしても、龍馬は彼の人間性を愛したのでしょう。

さらに当時海援隊には、父が上海の人、母は長崎の人という者も在籍しています。
難しい中国名の人物でしたが、はるばる日本まで来た彼に、龍馬は「春木和助」という名前を与えました。
世界を目指した海援隊にとって、いずれ彼は重要な人材になると龍馬は考えていたのですね。
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妻・お龍の写真(当館所蔵)。龍馬にお似合いの大胆さを持つ女性としても知られます
妻・お龍の写真(当館所蔵)。龍馬にお似合いの大胆さを持つ女性としても知られます 海援隊約規(個人所蔵・当館寄託)
結局、龍馬が重視したのは、身分や思想、所属、国籍などではなく、人間一人ひとりの「はらわた(人の中身)」なのです。

海援隊の規則である「海援隊約規」。
この冒頭に書かれている入隊の条件は、「かつて脱藩をしたことがある者」と、「海外を志す者」という2点だけでした。

幕末に作られた多くの組織の中でも、こういう入隊条件は海援隊だけでしょう。
これらの話は、龍馬の度量の大きさを物語るもので、これが龍馬最大の魅力だとも言えますね。

さて、今回のコラムで2022年年内のコラムは最終回となります。
本コラムを通して龍馬の素顔を、皆さんに少しでもお届けできていれば幸いです。
2023年もどうぞよろしくお願い致します、皆さまよいお年を!
高知県立坂本龍馬記念館
開催時間/9:00~17:00(最終入館は16:30)、定休日なし
開催場所/高知県立坂本龍馬記念館(高知県高知市浦戸城山830)
駐車場/あり 普通40台・障害者用2台バス4台
料金/あり 企画展期間700円 展示替期間500円 高校生以下無料
問い合わせ先/高知県立坂本龍馬記念館 TEL.088-841-0001
URL/https://ryoma-kinenkan.jp
reported by 高知県立坂本龍馬記念館