【町立久万美術館2023年度コレクション展Ⅱ 開館35周年記念 久万美コレクションにみる顕神の夢 愛媛/久万高原町】 アートの奥深さに触れてみよう
2024年1月7日~5月12日開催 表現者たちの感じた「何か」を求めて
写真:木下晋《願望Ⅱ》、1993年、町立久万美術館蔵
今年3月、開館35周年を迎える町立久万美術館のコレクション展をご紹介します。
久万美術館では2023年10月21日から12月24日まで、「顕神の夢―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」を開催しました。
自己を超えた「何か」を捉えようと、身を焦がす思いで制作する表現者たちの心情を「顕神の夢」と名付け、「人間を超越した『何か』を感知し、表現すること」をテーマにした展覧会でした。
この「顕神の夢」に引き続いて、今回のコレクション展では久万美術館の所蔵作品の中から、「顕神の夢」という趣旨によって選定した作品を公開します。
(写真:村山槐多《芍薬》、1915ー16年、町立久万美術館蔵)
幻視や幻覚といったかたちで「何か」を感じ、それを自身の作品に反映させている表現者たちがいます。
明治・大正時代の日本の洋画家で、詩人、作家でもある村山槐多(1896-1919)は、「何か」を求め幻視することを制作のモチベーションに。
画家・版画家でもある河野通勢(1895-1950)は、長野の自然の中に「何か」を見出しました。
写真:萬鐵五郎《T子像》、1926年、町立久万美術館蔵
自身の内側の情動を描こうとした萬鐵五郎(1885-1927)や、身近な風景をまるで別世界のように描いた三輪田俊助(1913-2015)など、表現者たちの感じた「何か」が描かれた作品が並びます。
また、「何か」に突き動かされて制作に向かう姿勢や、常人を超越した制作行為そのものを「顕神の夢」のひとつの側面と捉えた展示も行われます。
写真:三輪田米山《思無邪》、明治後期、町立久万美術館蔵
江戸末期から明治にかけての書家・三輪田米山(1821-1908)は、泥酔し、自我をなくした状態で筆をとったといいます。
これは、自身でも予測できない境地に立つことで表現される「何か」を期待していたためだといえます。
写真:木下晋《流浪Ⅱ》、1986年、町立久万美術館蔵
鉛筆画の第一人者といわれる木下晋(1947-)は、「モデルの内面世界に裏付けされた表層を描く」ため、徹底的に対象と向き合い、人間という存在を捉えようとしています。
写真:多和圭三《無題》、1992年、町立久万美術館蔵
彫刻家・多和圭三(1952-)は、ひたすらハンマーで鉄を叩き、作品を制作。
その途方もない繰り返しの行為によって、鉄は無機質な塊から新たな表情を持つ別の存在へと変容しました。
幻視や幻覚といったかたちで「何か」を感じた表現者たち。
「何か」に突き動かされて制作に向かう表現者たち。
「何か」を求めた彼らのアートが今回のコレクション展で一堂に集まっています。
表現者たちのアートへの思い
写真:長谷川利行《カフェ三橋亭》、制作年不詳、町立久万美術館寄託
京都府出身の洋画家でもあり歌人でもある長谷川利行(1891-1940)は、定住地を持たず、東京の街中を放浪しながら絵を描き、最後は街中で倒れ、やがて没しました。
破天荒な生き方をした作家は、「絵を描くことは、生きることに値するといふ人は多いが、生きることは絵を描くことに値するか」という言葉を残しています。
利行もまた、絵を描くことに並々ならぬ思いを寄せていたことが伺えます。
また、正岡子規は、禅僧・蔵山(ぞうざん、1715-1788)の書を「尋常を拔け居候(じんじょうをぬけおりそうろう)」と評しました。
ここで紹介される作家たちは、何らかのかたちで「尋常ならざる」資質を持っていたといえます。
そんな表現者たちが自己を超え、感知表現する美の追求が詰まった展覧会です。
彼らの生涯やアートに込めた思いに触れながら、アートの新たな次元を感じてみませんか。
■ 町立久万美術館2023年度コレクション展Ⅱ 開館35周年記念 久万美コレクションにみる顕神の夢
開催日時/ 2024年1月7日(日)~5月12日(日)
開催場所/町立久万美術館
開催住所/愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2番耕地1442-7
駐車場/あり (45台/無料)
料金/一般500円、高校・大学生400円、小中学生300円
お問い合わせ/町立久万美術館(0892-21-2881)
町立久万美術館 公式HPはこちら
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